熊本は、友人の実家があったり、去年旅行に行ってお気に入りの場所があったり、私には縁のある土地です。震災で被害にあわれた方には心よりお見舞い申し上げます。

阪神・淡路大震災の時、私は東京で学生をしていましたが、実家が被害にあいました。両親は無事でしたが、しばらく連絡がつかず、テレビ放送にくぎづけだったのを今でも覚えています。家屋も倒壊は免れましたが、今でも少し傾いていて戸が閉まりにくかったりします。
そして、東日本大震災では地震の恐怖を身をもって体験しました。地震、津波、原発事故。東北の方に比べれば被害は小さいとはいえ、あれ程の恐怖を感じたことはありません。そして学生時代に物理を専攻していた私は政府やメディアの発表する情報が全く信じられず、地震発生の翌日には自身の判断で家族と西日本へ避難しました。当時は会社員をしていたので、しばらく東京と西日本を行ったり来たりして過ごしました。

改めて言うまでもなく、地震は恐ろしい。人間の生活基盤を根底から覆してしまいます。
しかし、あえて言いたいのですが、被害にあっていない人間が「自粛」するというのは理解できません。「自粛」によって被害にあった方が救われるでしょうか?むしろ周りの人間はそのままの生活を続ける、もっと具体的に言えば「消費」を続けることの方が余程支援になります。なぜなら「消費」は誰かの「雇用」につながっているからです。

「寄付」というのも1つの支援ですし、ボランティアとして現地に赴いて被災者に寄り添うことも大事でしょう。しかし、状況が落ち着いていざ復興となった時に、被害にあわれた方に最も勇気を与えるのは「雇用」だと私は思います。寄付でもらう1万円と自身で稼ぐ1万円には圧倒的な差があるのです。自身で稼ぐことができるという自信が、人間にどれだけの勇気を与えるか…。

という訳で、私は一切「自粛」するつもりはありません。より直接的な支援をすべく、熊本商材の「消費」を心掛けたいと思います。熊本の酒を山ほど買ってきて友達呼んで宴会でもしようかな。そして、状況が落ち着いたら熊本へ行って、観光して、何かできそうだったらお手伝いして…なんてことを考えています。又、「寄付」についても知らない組織にお金を渡すのは気持ち悪いので、直接自治体にふるさと納税(お礼品はありません)しようと思います。